2001年10月 9日

禁煙

私が煙草を初めて吸ってから、3週間以上が過ぎようとしている。この間様々なことがあった。一例を挙げれば、肩こり、腰痛、胃痛胸焼け、サクロン、ツーナッシング、世界同時株安、文明の衝突、焼肉定食、などと言った感じだ。どれも良いことがない。焼肉に至ってはミノしか入っていない始末。どうしてくれよう。どれもこれも煙草の害だと断固として言いきれる。なぜなら私は依然として善良な市民のままであるからである(実際は都民であり区民だが)。

そこでは私は禁煙を大決意した。これが遠い道のり、苦難の道のりになることは分かっている。しかしやらねばならぬことはある。米百俵の精神で、禁煙無くして景気回復無し、構造なき聖域改革、ミノ無きカルビ焼肉定食だ。

しかしながらどうしたらよいのだろうか。最近はニコチンガムなどと言って煙草の代わりにガムでニコチンを摂取することで何とかしてゆこう、と言う風潮だが、甘い。そんなことでは次代にツケが残り、景気回復もままならない。禁煙無くして景気回復なし、構造なき聖域改革(以下略)。例えば、最近煙草を吸わないでいると手がぷるぷるしてくる。これは重傷だと言わざるを得ない。そういうとき私は決まって上着を羽織ることによって何とかしてきたが、なんとかならないかもしれない。やはり禁煙が必要である。

1)吐いてみる
禁煙には段階があり、まず、煙草を吸うのを止めなければならない。と言うことでとりあえず煙草を吐くことに挑戦してみようと思った。まず、おもむろに煙草の箱を取り出す。そして前回記したような手段(たいまつなど)で火を付ける。ここで注意したいのは風向きである。ここでおこした火は非常に弱いため、ガードしてやる必要がある。とくに雨の日などは雨にぬれないように注意してゆくことが重要だ。また、ガードのしすぎも禁物である。例えば、風をガードするあまりガードする手に引火する恐れも考えられる。われわれ日本人の皮膚はナイロンで出来ているから、とても引火しやすいので注意する必要がある。

煙草に火を付けたらおもむろに口元に近づける。注意したいのは通常とは逆で、ここで空気をたくさん吸わなければならない。吸ったら先へ行こう。そうしたら煙草を口に付け思い切り呼気をはき出す。はき終えたら煙草を離し、空気を吸う、煙草を口に付ける、はく、の連続行為である。フィルター部近くなったら、やけどしないうちに灰皿に捨ててゆこう。

これは多くの喫煙者にとって受け入れやすい手法ではなかろうか。煙草を吸ってる気になるものの、けして吸ってはいない。まさにミラクル。メイクミラクル、クルクルミラクルだ。ただ、この手段にも限界はある。見破られる恐れがある点だ。エシュロンなどの高度な諜報システムではこうした行為をすぐに見破れてしまう。見破られたからなんだという声もあるが、なんにせよ見破られてしまうのは避けたい。なぜ見破られるかというと、呼気を吐いた際に透明のガス上の物質体のみ空気中に放出されるからである。だが、エシュロンであっても、高地等のとても寒い地域で行えば体温との温度差から出来る水蒸気に紛れて探知は不可能である。高地に行けない場合は、思い切って吸ってみる、と言うのも手だ。

2)消してみる
しかし、吐いてみた所で煙草に火を付けている、と言う点は全く変わりない。つまり煙草の迫害の原因の一つに副流煙があるわけだが、1)の方法では主流煙は根絶できるものの、副流煙に対しては変わりないどころかむしろ悪化するとすら言ってよい。とんだごまかしである。赤字国債をどんどん発行して次代にツケを残すのに似ている。こんなことではいけない、というわけで次に行うべきことは火を付けないでみる、と言うステップであろう。このステップは難しい。ある種の技術が必要とされるのでゆっくり進む。まず、お湯を沸かす所から始める。早く沸かしたいときにはポットに入ったお湯を水に加えておくと早く沸く。また、ふたを閉めるのも効果がある。

この時点で先が読めた人がいるだろうが続ける。お湯が沸いたら茶葉を用意する。紅茶ならばダージリン、緑茶ならば玄米茶などがよい。そしておもむろにお茶を入れるのである。お茶を湯飲みなどに入れ飲んだらおもむろに煙草を取り出し、おもむろに口にくわえよう。しかし火を付けてはいけない。火を付けてしまっては元も子もないのである。しかし火を付けなければ煙草を出した意味がない。しかし火を付けてしまっては元も子もない。つまり堂々巡りなのであってカオスであって複雑系であるから、何とか煙草を吸っている体面は保たなければならない。

まず、煙草をくわえよう。この時あくまで火を付けて風を装うことに注意しよう。ばれそうであったら照明を暗めにするのも良いが、完全に暗くしてしまうと逆効果なので注意しよう。そして、煙草を口から外す、そして、すかさず湯飲みを口に近づける、そして、湯飲みから立ち上る湯気を慎重に、かつ大胆に!吸い込み、はき出す。この流れが重要であり、スピード感を大切にしてゆきたい。こうすることによって見かけ上は煙草を吸っているかのように見える。

3)買わないでみる
しかし煙草を吸っているかのように見えた所で何の意味もない。と書いてしまったら元も子もないが、あくまで最終的な禁煙の目的は煙草を吸っていると思われないようにする点にある。この観点からすると2)はまだまだ甘いと言える。この最終ステップでは供給を絶つことによって最終的な禁煙を目指してゆきたい。この手法は小泉首相が郵便局を民営化することによって特殊法人への資金供給を止めるやり口と同じである。

しかしながらこれは難しい。難しいからこそ最終的だと言えるのではあるが、痛みを伴うことは間違いない。順を追ってゆきたい。まず、ステップ1としては、23時から5時の間にのみ活動する、と言う所から始めよう。これは夜型である私たちには楽なことであろう。この時間であればうっかり自販機で買ってしまうことは避けられてゆく。しかしながら、この時間であってもコンビニエンスストア店では買えてしまう。うっかりコンビニエンスストア店で「マイルドセブンライト」などと口走ってしまうこともあるだろう。それならまだしも「マイルドセブン」と口走ってしまうかもしれない。

そこでステップ2では童顔になってゆくことが挙げられる。通例コンビニエンスストア店では大人であることに確証が持てない場合は煙草を売らないことになっている。そのため童顔になれば万一上記のようなNGワードを口走った場合にも煙草が出てくる確率は下がってくるだろう。童顔になるにはまず、整形が手っ取り早い。その辺の相談はその辺の人にしてもらうとして、他の対策としては、それっぽい服を着る、ほっぺたを赤くしてゆく、語尾に「でちゅ」とつける、会話に「ポケモン」「ハム太郎」などを織り交ぜる、などがある。

しかしながら、いくら童顔であっても限界がある。それはコンビニ店員がバイトであるという点である。バイト店員の倫理管理などたかがしれたものだし、自分がバイト店員であったとしても断るのは難しいだろう。また、うっかり「お父さんのお使いなので」などと口走ってしまう場合がある。こういった要因のせいでそれでも煙草が買えてしまう場合がある。こうなってしまうとほとんど手の打ちようがない。オーナー店員しかいないコンビニしかない地域に引っ越すと言う手段もあるが、礼金敷金を考えるとそうも言っていられない。

そこでステップ3は130円以上持ち歩かない、というものになる。たしか、一番安い煙草は130円であったと思うので、それ以上持ち歩かなければ事実上煙草は買えなくなる。これぞ究極的であると言える。130円あれば缶コーヒーも買えるしセブンイレブンのおにぎりも買え、うまい棒は12本買える(税込)。十分であると言えよう。

4)まとめてみる
このように禁煙を実施してゆくには非常に痛みが伴うし、これを読んで禁煙しようと思った人もここに至る過程でくじけてしまったりしたかもしれないが、禁煙なくして景気回復無し、の精神を忘れてはいけない。ここで禁煙しなくてもいずれ禁煙しなければならないのだ(死亡時など)。

ここで思ったのであるが、一口に禁煙と言ってもいろいろある。私が上記で主に取り上げた禁煙は煙草による煙を禁じる行為を指しているわけであるが、究極的には、さんまを焼くことも、のろしも、自動車に乗って排気ガスを垂れ流すのも、アフガニスタンを空爆することも禁止するのが禁煙であるように思う。そう考えてゆくと今日行ったいわゆる禁煙も禁煙道からするとまさに果てしない旅路の始まりと行ってよいだろう。とりあえず今日私はのろしを行うことを自らに禁じた。しかしながらこれも長い禁煙道からするとほんの始まりに過ぎないのであった(続く)

Posted by kent at 2001年10月 9日 01:47