2003年3月 5日

笑ってやる必要なんてない

立場上、お笑い、という考え方について非常に好意的かつ、
甘い見方をしているところはあって、
お笑いと言う考え方が持つ相対化力や多様性、バランスなどを
過信している部分はあると思う。

これが行き過ぎるとよくないことは考えなくても分かるわけで、
相対化が行き過ぎるならば、絶対的な価値が存在しづらくなり、
何を笑ったらいいのかの基準すら曖昧になり、
かえってお笑いにとって不都合な事態が生じかねません。

とくに最近のweblogやらニュースサイトの乱立などに思うものがあり、
こう言うサイトはどちらかと言えば「ツッコミ」であり、
多くの目で世の中のさまざまな「ボケ」を発掘し、笑う、
という側面を多く含んでいるように思います。

その過程で、特に面白くないものを無理矢理面白くしたり、
オモシロということであえて取り上げるようなニュース・話題が多く出てきますが、
この傾向は必ずしもよくないのではないかと。

どんな話題でもツッコミ次第で面白くもなりつまらなくもなるのですが、
必ずしも笑ってやる必要なんかない話題、というのも少なからず存在します。
笑ってやってしまうことで価値は相対化されますが、
それによって逆に価値を与えてしまうようなこともあるわけで。

特に笑いにしてしまうことで、そこで思考が止まってしまいがちなのが問題です。
それは笑いの仕方にもよるのですが、特に難しい関心を持ってもらいにくいような
話題を笑いでくるんでみせる(ボウリング・フォー・コロンバインとか)
というのは非常に効果的なのですが、笑いにはまた例のAだ、
ということでカテゴライズするような働きもその一方であり、
それこそが危険なのです。

今、北朝鮮の話題がまさにAです。もはやどんな話題が来ても、
北朝鮮に関しては「またあのアフロが:-)」で済ますことができるのです。
それによって細かな動きを見逃してしまうかもしれない気がしています。

なにもこれはweb上に限ったことではないのですが、
マスメディアに対するwebの優位性ばかりが注目されがちなので、
あえて書いておきたいと思ったことです。
笑ってやる必要なんてないのです。

Posted by kent at 2003年3月 5日 06:48