2003年5月13日

選挙と就職活動

住んでいるところは統一地方選挙と選挙日程がずれているので、
今ちょうど選挙活動やってんだけど、通勤のたびに不愉快になるのは
いつもといっしょ。せめて、選挙ポスターの顔を見て笑ったり、など、
そういうささやかな抵抗を試みようにも意外とふつうな顔ばかりで、
つまらない。

最近なんかよく無党派層が云々、という話を聞くけども、
陳腐な言い方をするならば、無党派というよりかは一人一派なわけで、
政党みたいな大きなパッケージで個人の望みを満たすことのできる
時代はたぶんとっくに終わったのだろうなあ、みたいなことでしょう。

そう思って選挙公報などを見てみたら、実際のところは
一人に選ぶこともできないのも実際です。
例えばAという政策とBという政策があったとして、
自分はAだけを支持しているのに、その候補者はBもセットで公約している、
というケース。これ、わりと多くて、そこまで考えると、
ほとんど投票できない。だから結局顔で選んでしまう。

そうなってくると、人という単位で選ぶ、というのも、
今後変わってきてもいい気がする。
つまり、政治家が仮想化されて、政策ごとに投票する感じ。
そうなると直接民主制だから、それに嫌悪感があるなら、
aという政策とbという政策にそれぞれ投票して、
aの得票率に応じて、aを推進する政治家が上から順番に選ばれるような
比例代表っぽい感じでもいい。

ただ、そもそも政治家に望むことなんてない、
というのも実際で、住民税が安ければいいぐらいの望みしか、
実際のところは持ち合わせてなかったりもする。

そこで思い出すのは新卒の採用なのだけど、
一般に言われることは、新卒はスキルで採るのではなく、
ポテンシャルで採る、ということで、「うちは人物重視で評価しています」
みたいなことを臆面もなく言う企業もある。15分で人物重視ねえ。

それはつまり、陳腐になるやもしれぬスキルよりも、
それに対応できる力を求めている、という安直な言い方ができるけど、
それはこの選挙の場合にも言えそう。
だから、政策で政治家を選ぶ、というのは合ってるようで合ってない。
政策は状況の変化に応じて変わるかも知れなくて、
変わったとして、この人ならうまいことやってくれるだろう、
っていうことを重視すべきなんじゃないのか。

とはいえ、そんなことができる環境にはちっともない。
企業ですら15分でなんとかやりくりしている機会を
自分たちは数十秒も得ることができない。
結局名前の連呼で選ぶ、という不合理になる。
これは昔ながらの農村ならうまくいくかも知れないけど、
そういうことを言う人はたくさんいるので割愛。

で、結局結論はかなーりありきたりな感じになるわけで、
ネットで情報発信が簡単にできるようになったんで、
政治家も発信したらいいですね、メルマガもいいし、
weblogもやったらいいですね、っていう話。

Posted by kent at 2003年5月13日 00:55