2003年6月 3日

ださサイトの方が親近感が?

http://ellington.gel.sfc.keio.ac.jp/nsly/mt/ns/000645.html

コメントで書こうと思ったけど、長くなったんでトラックバックで、
っていうかんじで使うんですかね、これ。
network styly *さんのところから。

政治家のサイトはださいサイトの方が親近感が増すのか、と言う話。

伊藤ガビンさんが授業で「こういうのがいいサイトです!」っていって、
ニュー漫画大学」を紹介したって言うのを聞いて、
http://b1.alt-r.com/zc/view.php3?m=1&n=65&p=193
なるほどなあって思ったのを思い出しました。

河野さんのメルマガは長いこと読んでるんですが、
2001年の7/1211/9に来たメールで、
日本語版は自分が更新していると言う記述があるんで、
(韓国版はハングルが使えるスタッフが更新しているという記述も)
ダサさはしょうがないかと。その意味で「わざと」ではないと思います。

河野さんにリテラシーがないというか、
むしろ我々よりはないけど、自分で更新できるくらいだから、
政治家水準からしたらトップレベルでしょう。
さらにここで間に人が入るのかいいのかわるいのか、
っていう問題もあります。

ダサさよりも、「俺には更新したい内容がたくさんあるぞ!」
っていうほとばしるモノの方が重要だと思ってます。
他にもださい議員のページはありますが、別に親しみは覚えないです。
河野さんのところは「情報が整理できてない」って思えるほど情報がありますよね。
個人的には見やすいに越したことはないですが、
見やすくて内容がないページよりはこっちの方が全然いいです。

個人的にweblogとかに期待しているのはこの辺です。
もっとコンピュータのリテラシがない層がほとばしるものだけで
ガンガン更新してもそれなりに見やすいものが出てくるので。
だからもっと簡単にならないとダメだと思うわけです。


(さらに追記しました。6/6 3:30)

あああ、明日早いんだけど追記。

間に人が入ってしまうと「小泉内閣メールマガジン」になってしまうおそれがあります。
どうしても個人の発行から後援会組織の発行という風に。
「小泉内閣メールマガジン」と聞いて、最初登録したいと思った人は、
小泉さんの生の声が聞きたいと思ったからだと思うんですが。
いまは何というか、処理された感じというか、生なのかも知れないけど、
そもそもその生が意外と期待はずれだったのか。

そういうことを考えていて、なんとなく、日本人は、
政策に投票するのではなくて、人に投票しがち、
っていうのとこの問題は密接に絡んでる気がしました。
私もそのくびきからは全く逃れられてないです。
政治家が自分の肉声を有権者に届けたい、と思うことと、
有権者が肉声が聞きたい、と思うことはそういうことで。

逆に、そうじゃなくて、こんなださいサイトじゃなくて、
整理されたサイトが見たい、と思う層は、
そういう古い日本人の投票行動を脱してて、
政策指向になってる都市型の無党派層なんだろうなあ、
とかありきたりながら思いました。

ただ、私はできればその人の政策の裏にある心情みたいなのが、
もしあれば知りたいので、そういう心情があって、
それを公開しても差し支えない政治家はどんどんweblogなりメルマガなりで、
個人的に公開したら面白いし、
そうじゃない政治家は整理して政策提言したらいいし、
そうじゃない政治家は落ちたらいいと思います。


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で、さらに追記というか言い訳(6/4 03:25)

なんかもう一回見たら、ものすごく河野太郎を擁護しまくりな文に見えたので、
いちおう書いておくと、政治的なことは単純に「悪さ加減の問題」として、
どっちか選ばなきゃいけない、っていう風に思っているからなので、
いまある選択肢の中でどっちか選ぶならこっちだけどな、
ってことです。

そもそも政治家が情報を発信する、っていう風土と、
こっち側が向こうの情報を聞くって言う風土、両方とも無い以上、
とりあえずもっと量的に何とかして頂いた上で、質の方を考えたい感じです。
(じゃあ、アメリカにそれがあるのかっつったらよくわかんないけど、
すくなくとも政治家の発信欲みたいなのは旺盛な感じはする。
まあ、議員によって濃淡はあるだろうけど)

まだ「ダサさ」を戦略的に活用するような段階にはまったくないと思うのだけど。
というか日本においてネットが政治に影響してる、っていう感覚は全くないし。
いまのネット層はそもそも「ダサさ」自体に親近感なんか感じないと思う。
感じるとすればやっぱり「本人がやってる」っていう物語の方かなと。


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network styly*さんの追記を受けての追記。(6/6 3:30)
こうやって議論が錯綜するとどこに書いたらいいかわからなくなるんですが、
どうなんでしょう。新しいエントリーを作って、古い方に
トラックバックするのがいいんですかね。

やっぱり視線が全然違うのかな、と言うのは思いました。
私は「政治からの自由」って言うのがそもそもあり得ないと思っています。
選挙に行かないのも政治的立場表明になると思いますが、
「じゃあ、若者の意見は聞かないでいいや」って言う結果になりますよね。
そういう風に生活全体がある面で政治的立場を体現してしまいます。
こういう考え方が非常に丸山真男っぽくて自分の下地の古さが出てしまいがちですが。

って書いたところでイズタニさんからトラックバックをいただいて、
そうそう、そうなんすよ、ってことでもう書かなくてもいいか。

残尿感の、情報量という話はその通りなんですが、河野太郎やなんかと、他の政治家と、webを
何の目的で利用しているのか、ということがこの一連の議論の中でねじれているとは思います。

ええ、そうです。PR戦略としては週三回もメルマガを出すのは
コストが高すぎる感じもしますし。

webを見ている層とその中でも投票する層を考えたら
ださいサイトで庶民感をアピールなんて言う戦略はやっぱり成り立たないでしょう。
成り立つとスタッフが思ってる可能性は0ではないですけど。
河野太郎のサイトを見つける、というだけで平均からすると、
結構なリテラシ+政治的関心が要求されるような。

話を元に戻しますと、
政策指向といいつつも、別に指向する政策なんて、
ほとんどの人(政治家含む)はいまは持ち合わせてないわけで、
それはたぶん、そもそも必要じゃなかったから、なんだろうけど、
今後層がくっきり分かれてくるならば、
ちゃんと投票しないと不利益になる事態、っていうのもでてくる。
というか、年金とかに関してはもう出始めてるけど。
そうなったらなったでなんとかなる(投票行動に変化が出る)
と楽天的に思っていたりもします。
何とかなってしまうことがよくないのか。

そういえば、福沢諭吉のあたりですでに、
「下戸が酒を売って何が悪いのか」という風な言い方で
人格と政策をわけるべきという問題提起がされてて、
ほんと根が深いですね、っていうか、しょうがない感じも、とか。


考えがまとまんないや。
端的に言えば、そもそもネットを使おうとしている時点で、
「こっち側」だと思ってあげないともっとおおきな対立点が
見えなくなってしまうってことですかね。
これってやっぱりweblogとweb日記の対立、みたいなのと同じだけど。

2chの「祭り」みたいな感じでドクター中松とかを当選させられたら
いろいろ面白い波及効果があると思うんですが、
「祭り」であってもドクター中松にいれるほどシニカルでも
ないようなのがむずかしいところだけど。


まとまんないついでに
スラッシュドットのレッシグへのインタビューの3,4あたりとかも。
http://slashdot.jp/article.pl?sid=03/01/09/0735214
あと「CODE」のp105,6あたり。「すべては政治だ」とか。

あと、この前TVタックルで参審制のデメリットについてやってたのにいらいらしたのも
これに多少関連しているのでついてに覚え書きに書いておきます。
デメリットに仕事を休んで行かなきゃいけないから嫌だ、とか、
無作為に選ばれるので関心に濃淡が出てしまう、とか、
そもそも素人に何がわかる、とか、
そういう意見って全く参審制(陪審制)の出てきた背景を無視してる気がしますけど、
それも同じ根かもなあ、とか。

Posted by kent at 2003年6月 3日 03:29