2007年10月21日

つっこみについて

久しぶりにボケとかつっこみのことを考えていましたので、
少しだらだらしてしまいますが、残しておきます。

ボケとつっこみは非対称的ではないかということで、
つっこみは、お前が言うどんなことでもうまいことつっこんでやるぜ、と思っており、
ボケはそのつっこみが思いもよらないことを言おうとしているとする、
そうしてそのやりとりが成立したとき、実は、ツッコミが駆け引きに勝った
ということになるのではないか、ここに非対称性があると思ったのです。

「どんなことでも」つっこめると言う技術があるツッコミがすばらしいとするならば、
そのどんなは誰でもいいと言うことになるわけで、それに対してボケはツッコミは唯一で、
そこにボケの哀しいところがあると思いました。

たとえば、ダウンタウンの浜田が誰でもつっこめる、
と言うところまでツッコミの技術を高めていったとして、松本は、もう、
浜田にしかつっこんでもらうことができない、というところまで行くという、
そういう哀しさがあると思います。

浜田が松本を選ぶとすると、それはスポーツ的なことで、
横綱が幕下力士を相手にしないようなレベルの話でしかないので、必ずしも、
と言うことでもない。それがボケとすると、寂しいだろうなあと思います。
そうしてそれは宿命とも言えます。

一例として、
「XXって、言いたいだけ」というツッコミは浜田が流行らしたと思っているのですが、
これも、特につっこみようが無いものを、XXって言いたいだけやろ!
ってつっこんだときの、このバチっと決まった感はすごかったはずで、
どうつっこまれるか予想もしていなかったものを、言いたいだけ、と名付けられることで、
言いたいだけ、と言うボケのジャンルが生まれるわけで、その後それを意識して、
言いたいだけのボケを多用などして、その相手がつっこめたとして、
その名付けられた当初の「言いたいだけ」は、他のツッコミには処理できないはずで、
ここにそのツッコミの優位性が確定されるわけです。

要するに、そこにボケの度胸が試されるようなところがあって、
何とかつっこまれることで安堵があるわけですが、その安堵はまた、
屈服と裏表という複雑な関係性があるようなそんな感じがします。

もちろんツッコミには何が来るか分からないという怖さもあると思いますが、
つっこみには「わけわからんわ」というつっこめなかったことをボケのせいに
できてしまう最終の切り札があるので、ボケよりは余裕があります。

もちろん、ボケとの関係性においては「わけわからんわ」は負けなわけですが、
舞台の空気としては、ノーゲームになってしまう、という感じ。
そこでどのラインをアウトにしてしまうのか、打ち返すのか、
というそこのきわどさがお笑いでは重要な感じがしています。


ほかにも、ツッコミの正当性を保証するもの、と言う概念があるのではないか、
ということを少し考え始めています。
これまで、ツッコミは技術だから、コンビがキャリアを経過する内に
ツッコミがうまくなって、コンビの力関係が変化する、
と言う風に単純に思っていたのですが、その技術と言っている中に正当性の確立というか、
ポジションというのがあるんじゃないかということです。

ボケの正当性というのは特に必要なくて、ボケはつっこまれない、
と言うリスクさえ承知すればそこでボケることができるわけです。
それに対して、ツッコミはその自分がつっこむことができるという
正当性が要求されるのではないか。
そのボケよりも、それをつっこんでいる自分は正しい、と言う正当性です。
で、その正しさ、というのはある程度ポジションの中で確立されていく側面はあるのですが、
獲得していくものでもあるような感じがします。

例えば、ナイナイの矢部の正当性というのは、
「空気」というか「普通」の読み方だと思っていて、
矢部のツッコミは常に「空気」への意識だったり、「普通」との距離を意識していて、
それがぶれないというところがまさしく矢部が獲得したところであろうと思います。
たとえば、ナイナイサイズとかで、ちょっとかっこいい服を着させられた矢部の、
ちょっとかっこいい服を着させられているオレって、
というような自意識を持った立ち振る舞い、などです。

そういう空気とかと離れたところでいうと、
ダウンタウンの浜田のツッコミはジャイアン的な、というか、
そういうガキ大将的な正当性に裏付けられているわけで、
それは若いときの浜田ですらそういう側面はあったけれども、キャリアを経るにつれ、
それが実を伴ってきているので、その位置が確固たるものになっているという感じです。
また、「オレって」という自嘲の感じがなかったとしても、
松本を筆頭とした周囲がそれをつっこめるというような意外な風通しの良さも一役買っています。

爆笑問題の田中はと言うとその中間くらいで、前者の「オレって」感を持ちつつ、
太田というツッコミをもっているというポジションですね。

で、いいともをずっと見ていて思うのですが、
キンコン西野が司会とかやるために足らないのは、
この「オレって」というかんじのような気がします。
いいともとかでタモリさんにつっこまれた西野は本気で不本意だというような
かえしをするので、そこら辺が若気の至りかなという感じがしてしまいます。
それをタモリさんや鶴瓶とかは見ていておもしろいだろうなと思います。

Posted by kent at 2007年10月21日 19:37