まだ終わってないのですが、卒論はお笑いの評価ってことで書いたのでした。
これを知り合いに見せたところ、
「お笑いが必ず相手を必要とするってことが書きたかったんでしょ」
というようなことを言われ、なるほど、そんな意図はなかったものの、
それはたしかにそういう面はあるのです。
ある意味当然なのですが。
で、まだ卒論が完成していないと言いましたが、具体的に言うと、
完成していないのはモデルの適用例に当たる部分で、
タモリさんなどを例に挙げる予定でしたが、タモリ委などをやっている都合上、
適当なことは書けないというプレッシャーや、いまいち切り口がわからない、
といった理由、さらになくても論旨には影響しないので、
時間的な都合で後回しにしたわけです。
ほかの方からもその章が一番大事なのではないかという指摘があり、
困っておった次第ですが、切り口としては、「お笑いは必ず相手がいる」
っていう部分に着目するのがいいのかなあとか思っておる次第です。
つまり、鏡像の関係で何が笑われているかという部分です。
ほかに卒論に書けなかった(時間的ないし論が詰められなかった、など)
ものとしてはお笑いと組織の関係があります。
一般的には多くの人が関わるほどつまらなくなる、ということは
言えますし、言われてきているようです。
しかしながら、それが単純に「笑いが丸くなる」といったことに起因するのか。
組織のデザインに起因するのか、うまく組織が作れればいいのか、
その辺はあまり検討されてないような感じがします。
これは別にお笑いに関係なくクリエイチブを目的とした組織に
一般なことなので、ちょっと考えたいところですが、
4月からまさにそういった目的でつくられた会社という組織体に属するわけで、
その辺の感じを考えたいと思う一方、この場合の組織体は、
組織として何かをつくるわけで個人は歯車であるみたいなクリシェを考えると
悩ましい、というのも挙げておきたい点です。